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Nikko〜Okunikko

 

1.道程
2.日光
3.奥日光へ
4.帰路

 

- 1 - 道程

◆スケールダウンもはなはだし。  

 2002年3月21日から、2002年3月23日。
これと言って理由もないが、母上と二人で日光&奥日光へ行ってきた。

 まずこの日光という行き先に辿りつくまでには、実は聞くも涙語るも涙の紆余曲折があったことを説明せねばなるまい。
 そもそも、 母上が上記の日にちあたりにまとまった休みが取れるということから話は発動した。
初めは3泊4日程度で近場の海外旅行をともくろんでおり、太平もその話を信じ、東海地区では手に入らない関東地区の旅行雑誌を名古屋に送ったり、パンフレットを集めたりとそれなりに奔走したのであった。
インドネシア、ベトナム、カンボジア、台湾など。
しかし、やはり買い物目的の旅行でない限り、3泊4日では充分な観光ができないという理由ですべてキャンセル。
私はその報告をゴミと化したパンフレットの山の中で聞くこととなった。
 続いてのプランは沖縄。しかも屋久島や石垣島。
屋久島はもちろん屋久杉を見に行くのが目的だ。しかし実際に旅行会社で話を聞くと、通常の屋久杉を見に行くまでには徒歩で数時間。縄文杉を見に行こうものなら徒歩で往復11時間と聞いて即刻却下。
石垣島は会社員の母上が集中して休みがとれるということは、巷の人間も同様ということで、既に予約はいっぱい。
 途方に暮れて太平が提案したのが「日光」。
実は以前春日部方面に用事があり東武鉄道に乗ったのだが、その時春日部で日光方面に向う特急を見かけたのだ。
それに、太平は日光へは行ったことがない。
ニッコーでケッコーと言わずして日本人といえるのか!?
奥日光には幸い温泉もあるということで、すんなり日光に決定したのだ。

 さて、前振りが長くなったのだが、当日は現地集合。
太平は埼玉県さいたま市大宮駅から東武鉄道で春日部で乗り換えて日光へ、母上は名古屋から東京まで夜行バス。東京駅から深川へ移動。そこから直通の列車で日光へ。

東武伊勢崎・日光線 太平は運賃を確かめて買うのも面倒だったので、一番安い切符を購入してとりあえず来た電車に乗る(あいかわらず滅茶苦茶だ)。
鈍行から春日部で東武伊勢崎・日光線の急行に乗り換える。
電車待ちの時間に一度母上に連絡を取ってみる。どうやら母上の方が先行しているようだ。
 電車に乗ると、意外に人間が多い。立たなければならないほど。この状態で2時間以上かいと少々うんざりしていると、運良く2駅目くらいで丁度目の前の席が空いた。
今後の旅の行程を思うと、この際悠長に席を譲っているわけにはいかぬ(鬼)。

 栃木駅を過ぎた頃に乗り越し精算の女子車掌さんがやってきた。そこで電車内で追加料金を払う。
「この電車日光まで行きますよね〜?」とかのんきに聞いている太平に、車掌さんが重大発言。
確かに太平の乗った列車は日光へ行く。

ただし二両目まで。

 日光方面へ向う東武鉄道の急行は、下今市(しもいまいち)駅で一方は鬼怒川、川治温泉方面と、もう一方は日光方面の二股に分かれるのだ。
運賃を確かめずに乗ったのが功を奏したようだ。(な〜んて、もちろん最初っからそのつもりだったさ(超大うそ))
太平は三両目にいたのだがギリギリまでねばり、切り離し直前で二両目に移動した。
切り離しを済ませれば、後は2駅のみ。
 3時間弱の行程で昼ごろには無事東武日光駅でランデブーに成功した。

 なにしろいいかげんな人間二人が現地で集合しようというのだ、ケータイなしではこうは簡単にいかなかったであろう。文明の利器に万歳。

 

▲ 一番上へ

- 2 - 日光

◆東照宮

東武日光駅舎。 さて、ここでひとつ基礎知識として知っておいて欲しい事がある。
2002年の3月は異例の早さで春が押し寄せてきており、この旅行へ行く数日前から5月くらいの気温であった。
故に、太平の服装はGジャンにTシャツとやけに軽装なのである。
これが後々悲惨なことになるとも知らずに・・・。
現地の気温はちゃんと調べてから行くものである。

 まず東武日光駅に降り立った瞬間、「さむっ」と思わず声に出してしまった。
車窓から桜がいい感じにほころんでいるのを見かけたので大丈夫かと思っていたが、やはり日光は平地より気温が4〜5度低い。その上、そんなに天気もよくないこともあり、流石に半袖はまずかった。母上も長袖ではあったが防寒装備は一切無し。
翌日の奥日光行きに一抹の不安を覚えつつ、とにかく駅舎前から出発するバスでいきなり東照宮へ行く事にした。昼食は夕食のことも考えて抜きの予定。

表参道入口。 日光東照宮は今更説明するまでもないだろう。
徳川家康を祭る神社である。
元和2年(1616年)駿河国(静岡県)で没した家康は、同久能山に葬られたのだが、翌年「東照大権現」の神号を送られると共に現在の日光に改葬された。
最初は結構質素な造りだったらしいのだが、家康を信奉する3代将軍徳川家光が金銭と当時の技術の粋を尽くし、派手で悪趣味・・・いやいや絢爛豪華な世界に誇る一大観光名所を作り出したのだ。
いろいろな示唆に富む彫刻などは、確かに何か他に意味があるのではと妄想が膨らむものである。(徳川埋蔵金のありかを示すとか、昔そんなTV番組があったなぁ)
 なお日光には東照宮の他、東照宮以前からあったニ荒山(ふたらさん)を神体とするニ荒山神社、天台宗三本山の一つ輪王寺(りんのうじ)、家光の霊廟大猷院(だいゆういん)があり、ひっくるめて一帯を日光山内(にっこうさんない)と呼ぶ。全て徒歩で歩き回れる程の地域である。

 バスから降り、幅広い表参道を東照宮に向って歩く。途中輪王寺の横を通るが、本日は無視。
ほどなく金色の三つ葉葵の印のついた「東照宮」の名前の彫られた石柱が見えてくる。
鳥居をくぐると、いきなり左手にド派手な五重塔がある。初層の四方には十二支の彫刻が施されており、入場する前からいきなりテンションの高い建物だ。
入場券を購入したら、ようやく本番である。
 事前にガイドブックなどで見所をチェックしていたのだが、そんなものは見なくても三猿、陽明門、眠り猫くらいは知っているだろう。
敷地内に入って思ったのは、意外に狭いと言う事だ。
チェックすべき建物や絵、彫刻が本当に狭い範囲に密集しているのだ。入ってすぐにメインイベントの一つとも言うべき三猿の彫刻はあるわ、すぐ向いに三猿、眠り猫と共に日光三彫刻と呼ばれる想像の象というのもあるし(この時は修復中で見られず)、日本でもっとも美人な天女図(日本一かはともかく確かに美人だった)も極近い。

見ざる、言わざる、聞かざる。

三猿

子供の頃は、悪い事を見ないように、言わないように、聞かないようにという意味。
猿の彫刻は全部で8種類あって、人の一生を8段階に区切り、それぞれの時代についての教訓のようなものを表している。

 

陽明門 裏。陽明門 天井画。それらに沿って視線を移動させていくとすぐに陽明門。
濃い。濃すぎる。普通の規模の神社ほどの敷地にとりあえずコレだけ見所満載なので、なんだか陽明門の間近に来る前におなかいっぱいな気分だ。

 陽明門は別名ひぐらしの門。その名の通り、細部にまで飾りや彫刻が施されておりいつまで見ていても見たりない、いつ見ても新たな発見がありそうである。
こればっかりは裏にもぬかりはなかった(笑)。
※左の画像は門の裏を唐門から望む。
ただ、門をくぐる時にふと上を見上げたのだが、門の厚みの分天井があり、その天井に描いてあった竜が門の外見に似合わずボロボロなのが気になった(右画像)。

 東照宮には、通常の入館料とは別に上乗せで入場料の必要な場所がある。
一つは奥社。江戸時代でも将軍家しか参拝を許されなかった場所であり、そこに至るには長い杉並木の石段を登っていく。途中眠り猫、登りきった先に家康の柩が収められている宝塔、願いを叶えてくれると言う叶杉などがある。
 もう一つは鳴龍(not麻雀打ち)。天井一杯の勇壮なドラゴンの絵である(ただし、火災で消失しており現在のものはかなり新しい)。しかし、それはメインではなく、鳴龍の描かれている建物自体に仕掛けがあり、ドランゴンの顔の辺りだけ音が大きく反響するようになっているところが見所、というか聞き所である。

眠り猫。ふみゃぁ、愛らしいですぅ。 まず奥社への道中にある眠り猫。
左甚五郎(江戸初期の大工。建築・彫刻の達人と言われるが、実在したかどうかは不明)作とされ有名な眠り猫なのであるのだ、がどれほのものかと思いきや、このちいささ。
下の立て看板がなければ絶対に見逃している。

「奥社にねずみ一匹通さないように」や「裏側の雀の彫刻と対で猫の裏では雀も遊べるという安定と平和を表した」などこの彫刻には諸説あるのだが、解釈に正解はないのであって、そもそも深い意味を勘繰る事自体無駄なのかもしれない。
雄雄しい獅子や虎、華やかな鳥立ちに比べると、やけに庶民臭いモチーフのせいなのだろうか。人々に愛されてきた理由がわかる気がする。

 眠り猫のある門をくぐり、奥社に向って長い石段を登っていくと、途中休憩所があったので一休み・・・というか太平はそこにあった狛犬に釘付けとなった。
今回の日光旅行中最も謎の発見。
も、もぐさ!?なんだ。つ、角か・・・。階段の両脇にあったのだが・・・なんだ?これは??
向って左側の狛犬。阿吽の「吽」つまり雌の頭の上に

もぐさ?

太平は異常に興味を示し、さんざんつつき回した上に一緒に記念撮影までしてしまった。

 しかし、階段を上りきるとようやくその「もぐさ」の正体が判明した。
家康の宝塔の前に鉄の重厚な扉があるのだが、その両側にも狛犬がおり、その狛犬には顕著に特徴が現れていた。
もぐさはなんと角であった。
その後本殿や至るところにある狛犬を気をつけてチェックしたのだが、東照宮にある狛犬の向って左側には角があった。
地方色の強いものなのか、はたまた将軍家ゆかりの印なのか、ガイドブックには一切ツッコミがない。
なにはともあれこのように強そうな狛犬は初めて見た(左の写真の狛犬は少々とぼけているが)。

 奥社で宝塔を見て、叶杉(既に木としての寿命は終わっており、朽ちかけた切り株だけであった)を見るとひき返し本殿、鳴龍と回る。
丁度鳴龍のところで中学校それも女子だけの修学旅行団体と一緒になった。
中学生女子の集団のなんとかしましいことか。
なかなか先へ進まない。
普段は誰がこんなものやるのかと疑問に思うような備え付けのセルフおみくじにもいちいち興味を示し、引いてみたりしてきゃーきゃー騒いでいる。
ちょっとうっとしいと思いつつも、中学時代の修学旅行は普通なら日光へ来て、こうあるべきだったんだと感慨深く思った。
そして今現在ここを訪れる事はなかっただろうと・・・。
※現在はわからないが、太平の時代の東海地区の公立中学校の修学旅行といえば、大概東京・日光方面と相場は決まっていたのだ。それをどういうわけか太平の通う中学は修学旅行として伊豆箱根・下田などとやけにひなびた場所であったというのは末代までの語り草である。

 

◆ジャーマンの秘密

 東照宮を出ると、東照宮の表参道から分岐して二荒山神社へ向う上新道へ入った。
正直、東照宮を見た後は何を見てもチンケに見える。
修学旅行者、外国人旅行者の姿も全く見えず、迷い込んだ個人旅行者(含太平)がまばらにいるだけである。
二荒山神社を正面から出ると、大猷院の前に出るのだが、結局入らずに通過してしまった。

 そんなわけで、ここで一つ日光で出会った食物について紹介しようと思う。

 さて、時間は丁度おやつの頃合。
夕食為に昼食は食さないと意気込んでいたのだが、やはり腹がもたぬとさっさとねをあげ、食事どころを探す事にした。
ここで初めて太平は日光の名物料理が湯葉であると知る。そういえば旅館を予約する時湯葉料理プランがどうのとか言っていた。
 フラフラと歩き回ると、メインの道路からは少し外れた場所にある喫茶店に入った。喫茶店というよりメインはパン屋で、売っているパンをそのまま喫茶コーナーで食せるといった店だ。
名前は金谷ベーカリーと言うのだが、道すがら幾つか「金谷」の名を冠したパン屋を見かけた。
日光には「金谷ホテル」という老舗ホテルがあり、一連のパン屋兼喫茶店はそこのホテルブレッドを作っている工場の直営かライセンス販売をしているらしい。
ジャーマン。太平は惣菜パン系のものを選ぼうと物色していたのだが、選んだのは「ジャーマン」という名前のパン。
見た目は何が入っているかわからない。
名前から勝手にポテトが入っているに違いないと予想して選んだのだが、かぶりついてみると予想に反して甘い。
甘い甘いイチゴジャムがコレでもか!!と入っていた。

というかこれはどこから見てもジャムパン

「ジャムパン」を読み違えたのか!?と狐につままれた気分でパン売り場に戻って見たがやはり「ジャーマン」。
ホテルブレッドに無造作に包丁を入れ、ジャムをはさんだだけのものだったのだが、なにしろ美味。
太平は中身のジャムが気に入り、母上は外のパンを気に入った。
喫茶店の女主人が「観光客の方はほとんど買っていかれませんけど、それは地元でも一番人気なんですよ〜」と教えてくれた。
確かに見た目は得体が知れない。
結局「ジャムパン」と「ジャーマン」の関連はわからぬまま、喫茶店を出る時もう一つ「ジャーマン」を購入した。
まさかジャムパン、ジャーパン、ジャーマン!バンザーイ、バンザーイ!!でもなかろう。
 あとで調べたのだが、日光の涌き水を使って練り上げた地元密着型のパンなのだそうだ。
東武日光駅の駅前(というか横)にも扱っている店があるので、日光を訪れた際はためして損はないと思う。

 

◆春の露天風呂は・・・

 世界遺産に指定される前から世界的に有名な観光地日光であるが、驚くほど宿泊施設が少ない。
それは多分東京の浅草から直結しているせいであるに違いない。
それに少し電車に乗れば有名な温泉郷も近い。故に日光に宿泊しようなどと考えるのはかなり物好きであるように思われる。

日光の懐石。 本日の宿は「ほてるとく川」。
東照宮からも歩いて歩けない距離ではない場所にある。外観は改装したての雰囲気。国立公園内ということもあって地上3階と低層である。
太平らの泊まった部屋は洋室であったのだが、全体はホテルというよりは旅館の雰囲気。
そして、温泉もある。
 金谷のホテルブレッドの項でも触れたが、日光は涌き水が多い。
東照宮の外辺を歩いている時も、石垣から水が染み出ていたり、用水路からふつふつと沸いていたりする。
温泉地としては有名ではないが、火山国日本のこと。少々気合を入れて深く掘れば地熱に暖められた涌き水のひとつやふたつは出てくるのだろう。

 食事前にひとっぷろということで、浴場に行ったのだが貸し切り状態。
透明の無味無臭の温泉。
気分良く室内の大浴槽で一通りいぬかきをしたあと、おもむろに露天へ・・・。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・・
太平は露天風呂には入らずにさっさと室内に引き返した。
季節は春。高地で少し寒いと言えど既に啓蟄(けいちつ)は過ぎている。
露天風呂の水面には名も知らぬ小さき節足動物の水死体がすくって取り除くというレベルではなく浮いていたからである。
これは仕方のないことなのか旅館の怠慢かはわからないが、とにかく冬以外の露天風呂へは入るものではないと再確認した。

 毎度思うのだが、旅館の食事と言うのはどうしてこうも見栄えが同じなのだろう。
板前さんはがんばっているのだろうが、いいかげん写真を撮るのが面倒になってきた。中華とかフレンチとかイタリアンを出す旅館というのはないのだろうか。
ただ世間の事情か、しゃぶしゃぶが豚しゃぶになっていた。あとデザートの冷凍南国フルーツ・・・たぶんマンゴスチン・・・は初めて食した。

 

▲ 一番上へ

- 3 -奥日光へ

◆日光山内後半

 明けて翌日。ホテルのプランについていた輪王寺の特設展示を見に行く事にした。
ホテルの送迎サービスで大猷院の前まで送ってもらったのだが、輪王寺に向うのには少々遠回りになってしまった。
まだ朝早いので比較的観光客も少ない。
散歩がてらに下新道と呼ばれる西参道と表参道を梯子状に繋ぐ道を歩く。
(実はこの時不用意にも1mくらいの石垣から飛び降りた時に膝を傷め、一生引きずるような怪我となってしまった)

 輪王寺に着いたのだが、輪王寺の本堂には入らず逍遥園という庭園と展示室の方へ向った。
庭の方は、下界より少々季節が戻るので、丁度梅が見頃であった。
さて、特設展示であるが、歴代将軍直筆書画であった。
初代徳川家康から慶喜、その後の徳川家の人々など。
なかなか直筆画や書などを目にする機会はないので、大変興味深かった。

輪王寺の桜。 まずなにより気になるのが家康の絵であろう。
率直に言って、大して上手くない(笑)。
実のところ習ってはいたのだろうけど。
結構ウマイと思った将軍は何人かいたのだが、ただ確かにウマイのだが独創性にかけていたと思う。
どうも隣にお手本があってそれを写したような不自然さが感じられる。
特に家康などは、下手というより上手く写せなかったと言う感じ。絵描きが職業でないのだから仕方がないのだが。
自由に描かせた方が意外に上手かったりするかもしれない。
我が母上は一応書道の心得があるのだが、家康の字を見て「下手」の一言。
どうも家康は筆を持ってはダメな人種であったようである。
 そういえば節約政治を行った暴れん坊将軍こと吉宗の字なのだが、太平が見てもわかる非常に神経質というかお手本通りな感じのする、まるで印刷したような楷書であったのが印象的であった。
絵もそれなりに上手くこなしていたが、当時の流行りだったのかダイナミックさは感じられない絵であった。
 歴代将軍については、いろいろな人となりの伝承はあるのだが、絵や書は伝承とは違い脚色のない性格が滲み出していると思った。(もちろんこれらが本物であったとして、だ)
なかなか良い展示だったと思う。

 一通り見終わると、丁度護摩堂で護摩が始まるところであった。
定時で行われるようなのだが、私は生護摩というものを初めて見た。
椅子があったので、休息がてら見学していたのだが、その時は実際の願掛けの人がいた所為かわからないが、まず火を点けるまでに異常に時間がかかった。
いろいろな修法と言うのは●●の真言を何回とかいろいろ決まっていて、それが半端でない数である事は知っていたが、実際目の当たりにするとその手間とまどろっこしさは想像以上である。
このまどろっこしさこそが修行なのだろうが。
 ようやく火を点ける。
これがまたよく観察すると笑える。
全ての行為が真言と決まった道具による振りつけなどからなるのだが、やっている事といえば護摩木をいげたに組む→香りとパチパチとよく音のするもじゃもじゃした植物のようなものをくべる→油をかける→扇子状のもので仰ぐ。
ようするに木を組む、裂いた新聞を間に入れる、火を点ける、うちわであおぐ。
キャンプで炊事の為に火を起こす手順とそうかわりないということだ。
その扇子であおぐ手順の時、ちゃんと火がよく燃えるので余計にキャンプを思い出して笑いのツボを刺激したらしい。
それを大仰な装置で、大仰な格好で、大仰な振り付けでしたのが護摩なのだ。
時代劇ではよく病気平癒の願掛けの護摩のシーンが出てくる。
ゴウゴウと燃える炎ごしに不動明王の真言を汗水たらして唱えるシーンが出てくるのだが、その炎をおこす手順の方がよっぽど不動明王の真言を唱えている時間より長いのだ。

 結局日光を離れようと予定していた十二時近くになってもいっこうに終わる気配も無かったので、そのまま表参道の入り口近くのバス停から奥日光へ向った。

 

◆華厳の滝・中禅寺湖

 我々の乗ったバスは、中善寺温泉、湯元温泉行きであったのであるが、地元民も使うバスである。
しかし乗客は日光市街から出ていろは坂に向うまでにはほとんどが観光客となっていた。

 さて、いろは坂は日光と中禅寺湖・奥日光を繋ぐつづら折りである。
余りの急カーブと道の細さに上りと下りは別ルートになっている。上りが第2いろは坂、下りが第1いろは坂。
上下合わせて48のカーブに「い」「ろ」「は」と順番に仮名が当てられているのだが、なにしろこのカーブ、Rが半端でない。
通常のカーブではない。全てヘアピンカーブだ。
それを普通のバスがくねくねと上っていくのだ。
正直そのうち誰かがゲ○するのではないかと気が気でなかった。
私は運転手は毎日この路線を運転しているのか・・・と感心しながら、1番後ろの席に座ってしまったことを後悔した。是非ハンドルさばきなぞを観察させてもらいたかったのだが。
車窓からの眺めは、雪こそそんなに残っていなかったのだが、冬木立と垂れ下がるような曇り空に旅行気分はやや盛り下がり気味である。

白鳥と共にちょっとシュールに中禅寺湖。標高1269m。 いろは坂を上りきった中善寺温泉駅で我々は一旦下車した。
目的は当然中禅寺湖と、日本三大名瀑の一つ華厳の滝を拝む為だ。
 日光も、平地に比べると高地であったが、いろは坂で一気に山を駆け上った中禅寺湖は標高1200メートルを越す。
100メートルで気温が−1度。単純計算で海抜0地点より12度低いわけだ。
道路に雪はなかったが、かわりに自分の背より高く積み重なった雪かき後の雪が完全に歩道をふさいでいる様子を見ては、流石にリュックの中のマフラーを取り出さざるをえなかった。
多分使わないだろうと御守程度に入れておいたものだというのに。
母上と、「完全にナメくさっとったなぁ」と言うがもう遅い。
沢山着てそうに見える?

脂肪です

 

有料観瀑台より。 さて、華厳の滝は男体山の噴火で生成された中禅寺湖の湖水が流れ出す場所であり、和歌山県那智の滝、茨城県の袋田の滝と共に三大名瀑に数えられる名所である。
高さ97メートル、毎秒3トンの水が流れ落ちる。

 華厳の滝は、バス停の中禅寺温泉駅から中禅寺湖とは逆方向に少し歩くとすぐだ。
まずは無料の観瀑台から滝を見下ろす。
確かに名瀑とうたわれる滝。「正しい滝」といった雰囲気だ。
 次にエレベーターで100メートルほど下に降りられる有料観瀑台へと進んむ。
エレベーターボーイ(でもおっさん)付きのエレベーターで100メートル降りると、地下道には既に滝の轟音が伝わってきていた。
その音にどれだけ近寄れるものかとおおいに期待して長い地下道を急いだのだが、表に出てみると何のことはない。
見上げるように滝が見られると思っていたのだが、無料観瀑台より視点が下がっただけで、そんなに近づいた感じがしないではないか。
多分滝が巨大な為、距離的にはかなり近づいているのだろうが、たいして近づいていると実感できないのだろう。
ただ岩肌から張り出すように台が設置されているので、丁度滝を真正面から見られるようになる。
あと滝壷に落ちた水はさらに急流となって、足もとを流れ落ちるもう一つの滝へと注ぐ様子が間近に見られた。

 正直なところ、この景観を見る為だけにエレベーター料金530円はぼりすぎだと思った。

 

◆何故に忍者

 しばらく中禅寺湖畔をぶらぶらしてみる。
途中太平的旅の目的の一つ、牛乳をゲットしようと思い、スーパーも見当たらないので個人経営のコンビニに入ったみた。しかし見たようなラベルの牛乳しかなかったので、購入を断念。
かわりに何故かうまい棒エビマヨ味とガムを購入。
 中禅寺湖周辺は冬季の為遊覧船も就航していないし、土産物店も閉まっているところもちらほらとある。それよりなにより寒い。
そろそろ買う気も無いのに暖を取る為だけに土産物店に入るのにも限界を感じてきたので、昼食として実はバスが到着した直後から太平親子の目を釘付けにしていたある食べ物店へ入ることにした。
その店は丁度バスから降りると目の前にあったのだが、いわゆるラーメン店である。
しかしネーミングセンスが我々のツボだったらしい。

家康らーめん

家康らーめん外観。こういった観光地特有のノリは、趣味が良いか悪いかは別として好きである。
しかも「家康」はまぁいいとしよう。
右の店の外観の画像を見て欲しい。
「忍者らーめん」とは何だ?
まだ「家光らーめん」とかならわかる。何故「忍者」なのだ?
一体何が入っているのか心配になりそうなラーメンである。
 家康らーめんとは一体何が入っているのか?忍者らーめんとは一体何物なのか?
余りに謎過ぎて、その謎を解明せずにはいられない。
結局我々は策にはまったのだ。

家康らーめんと平民(ウソ)らーめん比較。 家康らーめんには鯛のお頭が入っているに違いないなど勝手に想像力を逞しくして入店したのだが、まず喫茶店風の洋風の内装に出鼻をくじかれる。
水はセルフ。
そのくせ大将は同じフロアで午後は○○おもいっきりテレビを見ている。
サービスの「サ」の字も無いくせに、客の入りはまぁまぁだ。そんなところもやはり待っていても客のくる観光地飲食店の特色だ。
オーダーは、母上が家康らーめん。太平が比較の為に平民らーめん(便宜上命名)。

Q さて、この二つのらーめん。どちらが家康らーめんでしょう。

A 左。

色合いがなんともダメな感じであるが、卵とじになっていて、チャーシューも3枚入っているのが「家康」。あと、麺には日光の涌き水を使っているらしい。
ちなみに「にんじゃらーめん」はこれの味噌。
しかし、正直な感想、日光の涌き水を使っているという特別な麺がやけに塩っ辛くて不味かった。
とにかく異常な塩っ辛さだったので、ひょっとしたら、配合の時点で間違っていたか下処理がまずかったのか。
とにかくこんな料理出すとは、料理人の風上にもおけない。
つまり結果としては、

平民らーめんの勝ち(勝ちとかそういう問題じゃ・・・)

 

◆湯元温泉

  腹ごしらえも終わったので、一度降りた東武バスの中禅寺湖バス停から再び乗車し、今度は奥日光湯元温泉方面へと向かった。
中禅寺湖の外周を4分の1周ほどなぞって進み、その後戦場ヶ原へと入る。
標高をさらに上げ1400メートル。広大な湿原が広がる高原地帯だ。
春から夏にかけては豊富な高山植物や美しい沼地、秋には紅葉。真冬に本格的クロスカントリーなどが楽しめる場所なのだが、雪解けの始まってる3月は土混じりの雪がお世辞にもきれいとは言い難い情景をつくっていた。
もちろんバスで高原地帯を行く最中もハイカーや観光客の姿は一切見られなかった。
 白樺林を抜けてると湯ノ湖が見えてくると、程なく終点の奥日光湯本温泉郷へと到着である。
湯元温泉は、湯ノ湖の北岸に位置する温泉地で、延暦7年(788)日光を開いた勝道上人が発見したと伝えられる古くからの由緒正しい保養地だ(「るるぶ日光〜那須 ’01〜’02」参照)。

スキーリフトの発着所がホテルのすぐ裏手にある。 暖房の効いたバスを降り立った太平等の第一声。
さ〜ぶ〜い〜!!!
あたりは一面の雪景色。もはや手持ちの防寒具では補完しようもない真冬の寒さである。
気がついて周囲を見れば、ふかふかのダウンジャケットやそのままスキーに行けそうなナイロン素材の上下を着た人間ばかりで、Gジャンだけの人間は当然皆無であった。
まったくもって盛装パーティーの会場に普段着できてしまったような気恥ずかしさだ。
 予約したホテルからは送迎のバスが出るとの話であったが、この寒さでは待つのも苦痛であった。
目立った土産物店などは見かけられず、こぢんまりしたホテルや旅館が軒を連ねるその中から温泉の案内所を見つけると、兎も角その中に飛び込んだ。
本日の宿「日光グランドホテル」の場所を聞くと、たいした距離もないようのなので寒さを紛らわす為に歩いて向かうことにした。

 結局体が温まる前にホテルに到着してしまった。
送迎バスにも乗ってこず、やけに軽装な客にホテル・・・というより入ったとたん靴を脱がされるのでは旅館と言った方が確実に適当だ・・・のスタッフは一瞬いぶかしむような視線を向けたが、すぐに普段通りと思われる対応を始める。
フロントで我々が名古屋からきたと言うと(私は埼玉だが)、フロントマンはかなり驚いていた。関西人(関東の人間にしてみれば名古屋は関西だと思っているようだ)が奥日光くんだりまでやってくるのはよほど珍しい事であるらしい。

 通された部屋はもちろん純和室。しかも洗練された和室というよりは、修学旅行のノリの和室だ。
前日のホテルが洋室であったせいもあって、荷物を投げ出すとすぐに大の字になってゴロゴロしてみた。
やはり日本人は靴を脱いで、床に直に座らなければ真のくつろぎは得られない人種なのだと改めて実感する。
おやつとして備え付けの茶と茶菓子を食し、ついでに前日購入したジャーマンを食し、ゴロゴロに飽きると早めに温泉に入ってしまおうという事になった。

湯元温泉。 本館から少しばかり離れた温泉施設に到着し、とりあえず浴室を覗いてみると、卵の黄身の腐ったような独特なにおい、白濁した湯の色。
泉質を確認するまでもなく、湯元温泉は硫黄の温泉であった。
他に先客もいなかったので、浴室を激写。
実は紀行番組特有、湯船に浸かった母上のセクスィーショットもあるのだが、公害なので割愛させていただく。

 ここで、私は前日のリベンジとばかりに雪見風呂を決行する事にした。
表に出てみると・・・湯船に白い粉っぽいモノが一面にはっているではないか。
またもや露天断念かと思ったのだが、根性で手桶それらを全て掻き出すことにした。どうやらそれは温泉の硫黄成分が固まったものだったらしい。
その後かれこれ15分は露天風呂に入りつづけたのだった。翌日大変なことになるとも知らず・・・。

日光グランドホテル夕食。 さて、温泉タイムも終わり、食事タイムなのだが、ここのホテルの支配人か、レストランの責任者だか。作務衣と何故か頭にバンダナをまいている中年男性で、なにしろくよくしゃべる。
各々のテーブルの客にそれぞれ声をかけているようだ。
そして、我等のテーブルに来たと思うと、彼は少し声のトーンを落として、「お客様がおいしそうに呑んでるからって、あちらのお客様も同じビールを頼まれてましたよ」と言った。
・・・確かに「っか〜うめ〜」らしきことをしゃべりながら呑んでいた。
というか今更ながら恥ずかしい。
ちなみに頼んだビールは日光の地ビール。
他人がどう思うかは別にして、非常に太平好みの香ばしい味の強いビールであった。

日光ビール。 
日光ビール(冬季限定)。
この濃い色。
これくらいのビールが最も私の好みに合う。

 

▲ 一番上へ

- 4 -帰路

◆異変

 そもそも朝起きた直後から自覚症状が無かったわけではなかった。
なんとなくふともものあたりに違和感があったのだ。
しかし私としては、アトピー持ちで人より肌が敏感なので別段気にするようなレベルの事ではかった。

 朝食まで時間もあったので、折角なので朝風呂をしようということになった。
浴衣を脱いで、浴室に入って、まず最初にかけ湯をする・・・。

ピリピリする!

 一体何事かと、目を凝らしてヒリヒリする腿を見ると、ポチポチと赤い斑点が・・・。
痣のようではなく、皮膚の表面がボツボツしている。
母上と私しかいなかったので「ぎゃぁぁぁぁ」と到底独身女子のものとも思えない悲鳴を上げてみた。
どうやら強酸性に長く浸かっていた所為で、皮膚が炎症を起こしているようだった。
とにかく朝風呂は、湯船には入らずに早々に退散した。

 温泉などというものは、体に良いものとは思えどその逆は思いもよらないものである。
過ぎたるは及ばざるが如し。
ただ、名誉の為に付け加えておくが、旅行前2ヶ月ほど悩まされていた病がケロっと完治したのもこの温泉のせいであると思う。
(というか旅行行かずに病院行けよ)

 

◆極寒地獄

 朝食も終え、ホテルをチェックアウトすると、することもなかったので湯の湖の辺りを散策する事にした。
ガイドブックの事前情報によると、湯の湖周辺には散策周回路が整備されているとのことであった。
その散策路を半周したところのバス停からバスに乗れば丁度いい塩梅に時間がつぶせるという算段だ。
しばし歩いて湯の湖に到着する。
当然のことながら朝の湯の湖、さらに「冬」。人っ子ひとりいない。
案内所のようなところも開いていないし、なにより

散策路が雪に埋まっていた。

 果敢にも無理やり散策しようとしたのだが、普通のスニーカーではずっぽり雪の中にハマってしまい、すぐに立ち往生となってしまった。
天気は一瞬晴れ間が見えたかと思ったら、その後雪が降りだしその勢いは増すばかりであった。
結局来た道を引き帰し、バスの出発点の元湯温泉のバス停の待合室に駆け込んだ。
バスの時間まではかなり間がある。
閉じているバスのチケット売り場のかわりにチケットの委託販売をしているホテルへ行き、チケットを買うついでにしばらくロビーで暖をとらせてはもらえないかと頼むと・・・。
「困ります」と一言。
確かにロビーは狭いのだが、清掃中というわけでもなく、昼前なのでホテルの客がチェックイン・アウトしているわけでもないというのに。
まともな防寒具を装備していないのは確かに我々の落ち度ではあるが、旅先でココまで冷たい仕打ちを受けたのは初めてでありとても残念であった。
他に店でも開いていればよかったのだが、生憎それもない。
屋外は既に吹雪、ストーブもない待合室で寒さに震えて待つ事1時間前後。する事も無く、ただ「寒い」を連呼していると、異常に長く感じられた。

 ようやくやってきたバスは、まさに春。

バスの中で凍えた体をようやく解凍させて下界に思いを馳せ・・・・・
といきたいところであったが、実は私にとってはここからがまさに今までの不機嫌を吹き飛ばすメインイベントであったことは私しか知らないことである。
第1いろは坂。第1いろは坂2。 中禅寺湖より日光に至る「第1いろは坂」。
行きがヒルクライムということはつまり帰りはダウンヒル。そして架空ではあるが、藤原とうふ店の息子が劇場版頭文字Dで激闘を演じた場所。

バスの中でやたらにシャッターをきる怪しい人間一人。
思い入れというのは大切である。
こんななんでもない道が、一転エキサイティングスポットと化すのだから・・・。
ちなみバトルの決着のつくいろは坂最後の鉄橋が映画と全く同じ(逆でしょ)だったので、余計に興奮。
ところでここには実際に走り屋はいるのだろうか・・・?。

 

今回の旅行の教訓としては・・・
オフシーズンの観光地は、人出が少なくて非常に過ごしやすい。
しかし、気候、施設の閉鎖状況などの情報はもっと気合を入れて事前に調べるべきだ
・・・ということである。
観光ガイドブックには総じてオフシーズンのことは載っていないのだから。

 

日光〜奥日光旅行記 今回のナイスショット!
湯の湖。今回唯一の青空。

長く続く道。

春はまだ遠い。

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